<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>
ゴルフが人生を変える。ツアープロには当たり前の出来事だが、そうでない場合もあった。思い出の日本女子プロゴルフ選手権から、13年が過ぎようとしている。現在、五代恵未はルーキーキャンプに参加中。改めて2008年大会を振り返った。当時、日本体育大学の学生で、アルバイトで初体験のキャディーを。今回、競技委員の門川恭子が担当だった。
「ロープ内から見る景色に感動しました。でも、私はキャディーといっても、選手をサポートできるレベルじゃないことに気が付いたんです。そうしたら、どうしようと、不安ばかりがわいてくる。がちがちになっている私を察してくださったのでしょう。門川さんが、笑いながら、緊張しているね、と言葉をかけていただきました。あのやさしさ。心配りを一生忘れません」とうつむき気味に話す。
といっても、それだけではない。人生を左右した出来事に大会1日目の朝、遭遇した。門川が使用するキャディーバックは、プロトタイプで重量がある。五代の負担になりそうと感じると、大慌てで軽量タイプのバックを取り寄せたのだ。「わざわざ、私のために…。練習日に担いだ感じでは、これならイケると思った。だけど、これならいいでしょう-と笑いながら、2人でクラブなどを入れ替えた際、私の中で、ゴルフに対する気持ちが変わっていく。プロって、技だけではない。本当にすごいなぁ、と驚きました」。
誕生時は、2300グラムの未熟児。「首がすわりにくかったらしいです。体が弱くてはいけない」と、心配した両親は、物心がつく前から運動教室へ通わせることにした。「おかげで、体操が好きになり、オリンピックへ出場することが夢でした。でも、中学でひざを痛め、ちょっとした恐怖心が出て…。冷静になって考えると、体操は選手寿命がとても短い。どうせなら、息の長いスポーツがいいと感じて、14歳からゴルフを始めました」という。
そうはいっても、プロになるための修業とは考えていなかった。最終的に、どうするかは日体大在学の4年間で、「試合できっちりと結果を残せたら、プロゴルファーとして生計を立てようと決めた。だけど、国体などにも出たけど、それは自分の力ではありません。ただ、恵まれただけ」と、ツアープロを断念し、卒業後はOLになる。ところが、趣味でゴルフをするのでは飽き足らない。
約1年後、意外な道があることを発見。LPGAのホームページをみていると、ティーチングプロという職業をみつける。「両親が与えてくれたお金。それと、一生懸命やってきたゴルフと向き合う時間が、OL生活では生かせない。パソコンでティーチングプロの育成をみると、ビビッときた」と退職。ティーチングプロフェッショナル資格取得を目指す。苦節8年が過ぎ今年、念願のライセンスを手に入れた。
「私が決めたのはA級になるまで絶対、指導をしない、と決めました。それがこだわり。特に、A級でなければ指導してはいけない、ということはなかったけど…。8年間、幼稚園で体操を教えていました」と語った後、「教えるようになって、さまざまな疑問が氷解した。最初、カリキュラムをみると、笑顔のつくり方、名刺の手渡し方法、コミュニケーションの取り方など、ゴルフとは関係がない、なんじゃこら、と首をひねるものが多く含まれていたからです。しかし、1人立ちしてから、そんなことがすべて役に立つ」と力説した。
東京・港区内のインドアスクールで、ゴルフの普及拡大に取り組んでいる。趣味は茶道だが、「和のものが好きです。成人式から、着物が大好きになった。何か、あると私は着物です」。余談ながら、キャンプ参加者が着る、ピンクのポロシャツも良くお似合いでした。